メディア掲載  外交・安全保障  2018.07.06

トルコとロシアの類似性

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2018年7月5日)に掲載

 先週トルコでダブル選挙があった。大方の予想通り、大統領選・議会選挙とも現職エルドアン大統領派の圧勝に終わった。しかし、欧米の一部にはこの結果を批判する向きが少なくない。エルドアン派の勝因は経済拡大政策により多くの名もなき庶民の強い支持を得たことだ。一方、過去15年トルコを統治してきたエルドアン氏は先般の憲法改正で大統領権限を一層強化し、従来以上の強権政治を行う可能性が懸念されている。

 同時に行われた議会選挙でもエルドアン派与党連合が勝利した。これではプーチン大統領のロシアと大差ないではないか。政権側の有形無形の圧力があったためか、最大野党インジェ候補の得票率は31%と伸び悩んだ。欧米諸国が対エルドアン批判を強める理由はまさにここにある。

 トルコは中東で最も親日的な国だが、本邦有力紙社説も懸念を隠そうとしない。産経新聞「主張」は「強権支配がつのることへの憂慮は拭えない」「欧米や国際社会は(トルコ)民主化への関心も失ってはならない」と書いた。まっとうな正論だが、筆者の関心は別にある。エルドアン氏の治世は15年に及ぶが、隣国ロシアではプーチン氏が18年も君臨しているではないか。この両指導者と両国の類似性が今回のテーマである。

 プーチンとエルドアン、両氏とも過去10年以上にわたって民主的選挙を勝ち抜き、あたかも古(いにしえ)のツァーリやスルタンのように政治の頂点に君臨し続けている。さまざまな噂はあったものの、その大衆迎合的民族主義政策により両氏とも政治的に生き残っている。それだけではない。ロシアとトルコには興味深い歴史的類似点が少なくないのだ。

 第1は、19世紀まで両国が西欧周辺の大帝国だったことだ。ロシアではピョートル大帝が17世紀に西欧化を進め、1917年のロシア革命までロマノフ朝の貴族は宮廷内でフランス語をしゃべっていたという。一方、トルコでもケマル・アタチュルクがオスマン朝打倒後に大胆な西欧化を進め同国は世俗主義的民主国家として再出発した。イスラム法は国法体系から分離され適用は宗教問題に限られた。

 第2に興味深いことは、両国とも自国を欧州の一部と自認しながら、欧州人の多くがこれを認めていないことだ。筆者が外務省の中東第1課長だった頃、在京トルコ大使から「中東局がトルコを担当するのは先進国では日本だけだ」とお叱りを受けたことがある。「それなら、まずEU(欧州連合)に加盟してよ」と反論したが、ご本人はいたって本気だ。こうした両国の意識の裏には西欧に対する限りない憧れと、底知れぬ劣等感が見え隠れする。こう考えると、プーチンやエルドアン両氏の長期政権とは、ロシアとトルコの対西欧コンプレックスの必然的結果ではないかとさえ思う。

 別の見方をすれば世界には必ずしも西欧に属さないがその周辺で西欧の文化や政治制度に魅了された大国が3カ国ある。ロシアと日本とトルコがそれだ。これら3国は西欧との接触を続ける中でそれぞれ独自の進化を遂げてきたともいえるだろう。

 まずはロシアから。同国はキリスト教国だが、東方教会という点で西欧ではない。共産革命で帝国は崩壊したが、社会主義にも失敗し、結局は西欧になり切れなかった。

 トルコもこれに似ている。イスラム国でありながら、アタチュルク革命で世俗化と非イスラム化を進めた。NATO(北大西洋条約機構)加盟後、EU加盟も目指したが、結局は挫折している。

 両国に比べると、日本の近代化はかなり成功している。先祖返りで「再帝国化」するロシアやトルコとは異なり、日本では自由主義も民主主義も立派に根付いているではないか。遠い東アジアの国で宗教的要因が少なかったためだろうか。この歴史的幸運を日本人は忘れるべきではない。