メディア掲載  外交・安全保障  2015.11.02

緊迫の南シナ海、日本外交に求められるのはタイの優れたバランス感覚支援

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2015年10月29日)に掲載

 2週間前の本コラムで筆者は「今後数週間の米国の動きはシリアだけでなく、南シナ海の将来を決定的に左右するかもしれない」と書いた。27日、米軍は南シナ海で中国が埋め立てた人工島の「領海」内に艦船を派遣した。

 ロシアが対シリア軍事介入に踏み切った最大の原因はオバマ政権の臆病さだ。同様の理由から中国は南シナ海の現状変更に踏み切ったのだろう。その米国がようやく東アジアで軍事的示威行動を取った。人民解放軍幹部は領有権問題に関し「軽率に軍事力に訴えることはない」と述べたそうだが、これで安堵(あんど)する者はいないだろう。対する米国防長官は、国際法の許す限り「どこでも飛行し、航行する」と述べた。米国が中国にけんかを売っていることは明らかだ。

 この問題には長短2つの視点がある。短期的に米国は必ず艦船・航空機を派遣するはずだと考えた。実行しなければ、米国はもはや「大国」ではなくなる。他方、中長期的に見れば、米軍がこうした態度をいつまで続けられるか疑問である。こうした事態は米中間で初めてではないからだ。

 1996年台湾総統選挙前に中国は台湾海峡にミサイルを発射した。その際米国は空母機動部隊を台湾海峡付近に派遣した。しかし、現在同様のことが起きても米海軍が空母を台湾海峡に派遣することはない。理由は簡単。中国のミサイル誘導能力が向上したからだ。では今から20年後、解放軍の前線基地となったこれら人工島に米軍艦船・航空機は近付くことができるのか。これが東南アジア・南シナ海の現実である。

 先週その東南アジアに出張してきた。タイのバンコクは十数年ぶりである。アセアン諸国の中でタイの立ち位置は微妙だ。フィリピンやベトナムほど反中ではないが、ラオス、カンボジアほど中国べったりでもない。イスラム教のマレーシア・インドネシアとも違うし、シンガポールのような小さな島国でもない。強いて言えば、同じ仏教国で現在軍政を敷くミャンマーに近いが、国情は大きく異なる。

 タイ族の起源は中国雲南方面だというが、中華街で話される中国語は「潮州方言」らしい。北京語を喋(しゃべ)る人もいたが、タイの「華人」の多くはタイ化しており、中国語は喋れない。要するにタイ人には、一部アセアン諸国で見られる、中国に対する敵意も親近感も感じられないのだ。

 結論を急ごう。今回実感したのは、タイ社会がインドシナ亜大陸の中央で、四方を異民族に囲まれながら、奇跡的に植民地化を免れた、おおらかな「人種のるつぼ」であることだ。タイ人の多くは中国系であっても中国とは一線を画している。人種や文化的背景が異なっても、タイ語を喋り、タイ文化を受け入れ、タイの国体を尊敬する者はタイ人として受け入れる。このような文化的柔軟性は他のアセアン諸国には感じなかった。タイ人のこの優れたバランス感覚はタイの外交政策にも表れているに違いない。

 話を南シナ海に戻そう。米国のある新興シンクタンク所長は南シナ海問題が単なる「航行の自由」だけではなく、同海域に対する中国の「戦力投射能力」に関わる大問題だと論じた。だが、その南シナ海の人工島もバンコクから見れば決して大きな問題ではない。バンコクの軍関係者は、タイに対する最大の脅威は国内の分離主義運動だと断じていた。良い悪いの問題ではない。タイは中国と戦ったことがなく、国境も接しない、誇り高い独立の王国なのだ。軍事政権の登場で米タイ関係はギクシャクしている。そもそも両国間には明文の二国間安保条約すらない。それでもタイ人は米国を同盟国と考えている。このタイの優れたバランス感覚を静かに支援することが今の日本外交に求められている。