メディア掲載  外交・安全保障  2015.09.24

鬼怒川堤防決壊...米国の教訓

産経新聞【宮家邦彦のWorld Watch】(2015年9月17日)に掲載

 先週、記録的豪雨により日本各地で堤防が決壊した。関係者は「決壊するとは思っていなかった」「これほどの範囲の浸水になるとは予想もしなかった」「夜半だったのでためらいがあった」などと釈明した。

 待てよ、似たような話を聞いたことがあるぞ。そうだ、2005年夏のハリケーン・カトリーナ。米ルイジアナ州ニューオーリンズでは堤防決壊で市の大半が水没した。米国南部で死者・行方不明者は2千人を超えた。外務省を退職した直後のことだから今も鮮明に覚えている。

 米国でも担当者は躊躇ちゅうちょした。8月27日の夜中、国家ハリケーンセンター所長はニューオーリンズ市長の自宅に電話で住民の強制避難が必要と伝えたが、その時点で避難命令は出なかった。対応は不徹底、決断も遅かった。市長は州知事や連邦政府が対応すると甘く見た。これに官僚主義、煩雑な手続きも加わり、被害は拡大した。当時ニューヨーク・タイムズ紙は「全ての関係者が判断ミス、連絡ミス、過小評価を犯し続けた」と書いた。

 当時市内は銃撃、略奪、婦女暴行が多発する無政府状態だった。関係者は管理マニュアル通りの対応に終始、支援物資やボランティアの申し出を断るケースすらあった。市内全域で通信が止まり、関係省庁や地方政府間の連絡も不十分だった。当時の連邦緊急事態管理庁長官はインタビューで「予測不能だった、知らなかった」と応答、厳しい批判を浴びて更迭された。これがカトリーナ事件の概要だ。

 日本の関係者を批判するのが目的ではない。危機管理の失敗は今も世界中で起きている。されば、カトリーナ事件から私たちが学ぶべき教訓は何だろうか。


(1)初動対応が全てを決める

 誰も危機の規模を正確に予測できない。だからこそ、常に最悪の事態を考える必要がある。「夜中だった」「休暇中だった」などの言い訳は一切通用しない。初動では私情を捨てるべきだ。「危機か否か」に迷ったら、それは既に「危機」である。

 そんな時は「事態は深刻だ」と直言する部下が最も頼りになる。「イエスマン」は要らない。また、危機が起きたら誰も助けてくれない。「誰かがやってくれる」と期待すべきではない。


(2)マニュアルと現場管理

 「危機管理マニュアル」は平時の「頭の体操」と割り切る必要がある。危機の際は「マニュアル」ではなく「常識」に頼るしかないのだ。また、混乱する「現場」を「中央」は一元管理できない。部下や現場に対する指示を明確にしないと現場は動けない。危機の際情報は必ず混乱する。現場責任者に一定の権限を付与することも重要だ。


(3)情報管理の失敗

 危機の際、「広報」は「最大の武器」にも「致命傷」にもなり得る。トップの最高意思決定には常に広報担当責任者を同席させるべきだ。「十分対応できなかったこと」よりも、「嘘をついた」「知らなかった」ことの方がダメージは大きい。誤解を恐れずに書けば、メディア関係者は常に「生贄いけにえ」を探している。情報を発信しない組織はターゲットになる。まして、情報を操作しようとした組織は必ず報復されるだろう。


(4)結果責任

 政治は結果であり、部外者は関係者の結果責任を求めている。だが、結果を出すためには行動が不可欠だ。「思考するだけで失敗しない部下」よりも、「行動して失敗する部下」の養成・慰労・処遇が重要である。それでも政治判断に迷う場合は常識、すなわち「普通の人の普通の感覚」を考えるしかない。


 以上がカトリーナ事件の教訓だ。

 ちなみに当時米国では誰も謝罪せず、トカゲの尻尾切りで幕引きとなった。その点、日本の対応の方がはるかに誠意があると思うのだが。