コラム  外交・安全保障  2013.06.07

歴史問題-日本ができること・すべきこと-

 5月31日~6月2日の3日間にわたり、シンガポールでアジア太平洋安全保障会議が開催された。通称「シャングリラ会議」として知られるこの会議はイギリスに本拠地をおく戦略問題国際研究所(International Institute for Strategic Studies, IISS)がシンガポールで2002年から主催しており、会議には毎年、米国を含むアジア太平洋各国のシンクタンク研究者をはじめ、国防大臣や軍の高官が出席することで知られている。今年で12回目を迎えるこの会議には、今年も開催国シンガポールの国防大臣はもちろん、米、豪、加、インドネシア、比、チモールから国防大臣が参加、越にいたっては、首相が参加するという豪華な顔ぶれとなった。欧州からの参加も年々、増えており、今年は英、仏から国防大臣が、EUから外交・安全保障担当大臣がそれぞれ出席した。


 日本からは小野寺防衛大臣が出席、「国益を守り、紛争を防止する」というテーマの全体会合で講演を行った。この基調講演の中で小野寺大臣は防衛大綱・中期防衛力整備計画の見直し、防衛費の増額、国家安全保障会議設置に向けた法整備、集団的自衛権行使の解釈変更、憲法改正などに触れ「一部の人には日本のこのようなイニシアチブを『右傾化』と呼ぶ人がいます。また日本が『平和愛好国』としてのアイデンティティを捨て、既存の国際秩序に挑戦しようとしていると批判する人もいます。しかし、このような見方は誤りです。これらの動きは日本が地域の安定に向けてより能動的に且つクリエイティブに貢献することを可能にすることを目指すものなのです」「これらの努力は我々の自由・民主主義・法の支配という基本的価値観に基づいた国際秩序の維持と強化、という日本の国益にとってきわめて重要なものなのです」と述べた。


 さらに、「日本の野党の指導者...が繰り返し日本の過去の歴史に関して不適切な発言をすることで、日本の近隣諸国に誤解と不信感を生みました」と橋下大阪市長の慰安婦問題に関する発言に間接的に言及し、「安倍政権はそのような歴史認識は決して取りません。過去に日本は多くの国々、特にアジア諸国の人々に多大な損害と苦しみを与えました。その後、日本政府はこの歴史的事実を謙虚に受け止め、深い反省と真摯な謝罪の意を表明してきました。安倍総理も同じ立場を堅持しており、この立場は私を含む他の閣僚の間でも共有されています。そのような認識に立ち、関係国とは、未来を見つめた国際的協力を進めて生きたいと考えます」と述べた。


 このスピーチは、現地で大変高い評価を受けた。日本の安全保障政策に関して安倍政権が取ろうとしている措置が「日本の右傾化」に連なるという見方は誤解であるとはっきりと「反論」し、さらに個人名に言及することは控えつつも、慰安婦問題をめぐる日本の一部の政治家による不適切発言は「日本の政府の見解とも総理本人の見解とも異なる」こと、さらに歴史問題に関して歴代の日本の政権が繰り返し「お詫びと謝罪」を表明してきた、という「事実」を明確に述べ、その上で日本が目指すアジア太平洋での安全保障協力の形について論じたからである。


 歴史問題、特に第二次世界大戦前の日本による植民地支配や、戦争中の中国・韓国をはじめとするアジア諸国の軍の行動に関する問題について日本人が語ることは難しい。特に「日本は謝罪していない(謝罪のしかたが足りない)」「ドイツのように個人補償すべきだ」などという批判に対しては、「政府はもう何度も謝罪しているではないか」「そもそも、戦争中に悪さをしたのは日本軍だけではないではないか」「GHQ統治下の日本でも米軍の行いはどうなんだ」と感情的な反論になりがちだ。ここ1、2ヶ月、日本では歴史問題をめぐり様々な政治家が種々の発言を行いそれについて様々な報道がされた結果、海外では「日本が急速に右傾化している」というイメージが急速に広まり、それに対して海外メディアが展開する批判的な論調に日本国内で感情的な反発が起きるという「負のスパイラル」が続いているように思う。


 海外における日本の戦争責任をめぐる論調、特に日本の「戦争犯罪に対する責任のとり方」についての批判には正直、事実を殆ど知らないで批判していると思わされるものも多く、そのような的外れの批判に対してはどうしても感情的になってしまいがちだ。しかしそのような感情的な反論をすればするほど、形勢不利になる。むしろすべきなのは、明らかに事実を知らない人に対しては、これまで日本政府が取ってきた措置について感情的にならずに説明し、その上で「あなたは『日本は謝罪していない』と言うけれども、日本は、これまでとってきた措置以上に、一体何をすれば『謝罪』したと認めてもらえるのか?」と問いかけるほうが効果的だ。問題は、反論する私たち一人ひとりが、どこまで日本がとってきた過去の措置に関する事実を知識として持っているのか、ということだ。


 例えば、従軍慰安婦問題。「強制性の有無」「政府の公式な関与の有無」についての論争は今も続く問題ではあり、感情的な議論が起こりやすい問題でもある。この問題をどう捉えるかも人によって様々だろう。「慰安婦」に似た女性の存在は戦争中はどうしても発生するもので、日本だけが取り立てて批判されるのは納得できない、という議論もあるだろうし、「口減らし」として貧しい家庭の娘が売られるということが日本でもごく当たり前に行われていたあの時代に起きた出来事の是非を現代の倫理感覚で議論することが適当なのか、という考え方もあるだろう。しかし、どのような立場の人であれ、最低限抑えておかなければいけない事実関係はある。どうすればそのような情報が入手できるか、探していたときに出会ったのがこの記事だ。
 "http://bylines.news.yahoo.co.jp/egawashoko/20130525-00025178/"


 この記事でインタビューを受けている大沼保昭・元東大教授は国際法の専門家で、従軍慰安婦の賠償問題に関わるアジア女性基金にも理事として関与した方である。この記事を読むと、従軍慰安婦問題について話そうとするときにその前提として、立場の如何にかかわらず抑えておくべき事実関係、この問題について日本が今まで何をしてきたのか、何ができてこなかったのか、この問題が抱える問題点などについて非常に分かりやすく解説がされている。


 また、「日本政府による過去の謝罪」に関しては、このような論文もある。
 "http://www.nids.go.jp/publication/commentary/pdf/commentary031.pdf"


 著者の庄司潤一郎氏は、防衛研究所戦史研究センター長を務めている研究者の方だが、今年の2月に執筆されたこの小論文では、1995年の「村山談話」、2005年の「小泉談話」、さらに2010年の「菅談話」を取り上げており、歴史認識に関する日本政府の立場についてよく分かる内容のものになっている。


 残念なのは、このような事実に基づいた冷静な論調が主要マスコミでは殆ど取り上げられないことだ。大沼氏のインタビュー記事は「ヤフー!ニュース」に掲載されていたものだし、庄司氏の論文も防衛研究所のサイトに行かないと読むことができない。私も、恥ずかしながら、お世話になっている元幹部自衛官の方に教えていただいて初めてこの論文の存在を知った。これらの記事や論文は、当然、英訳もされていないので、海外のメディアで「こういう冷静な見方をする専門家も日本にはいますよ」と紹介されることもない。


 歴史問題について日本が何か発信しようとするとき、感情的な反論だけでは水掛け論にしかならず、事態を悪化させるだけだ。むしろ積極的にすべきなのは、前述の記事や論文のような、事実関係をしっかり抑えた専門家の論調や発言を紹介することであり、反論する我々自身が先ず、このような事実をしっかりと勉強することではないだろうか。


 小野寺防衛大臣のシンガポールでの講演と、それに対する高評価を聞いて、「事実を冷静に伝えながら、自国の立場を主張すること」の大切さに改めて気づかされた次第である。