コラム  外交・安全保障  2011.07.06

政治任用制度の研究(11):ゲーツ国防長官の「官僚操縦術」

シリーズコラム『政治任用制度の研究:日本を政治家と官僚だけに任せてよいのか』

  6月30日午前、4年半国防長官として在任したゲーツ国防長官の退任式がオバマ大統領出席のもと、国防省で行われた。パネッタ新長官は7月1日に就任し、新体制が発足する。オバマ大統領は退任式のスピーチの中でゲーツ国防長官を「アメリカの歴史上、在任期間がもっとも長かっただけではない、最良の国防長官の一人だ」と最大級の賛辞を送り、文官に授与できる最高位の勲章である大統領自由勲章をゲーツ長官に授与した。
 ゲーツ長官退任が迫る6月27日、ワシントン・ポストに興味深い記事が1面で掲載された。記事の題名は「ゲーツのウォー・ルームからの教訓(Lessons from the Gates war room)」。この記事の中では40年間の政府での勤務で計8人の大統領に仕えたゲーツ国防長官が、「きわめて効果的な官僚の使い手」(エリオット・コーエンSAIS教授談)として、在任中にいかに国防省組織を効果的に操縦したかが論じられている。
 この記事では5つの事柄が「教訓」として挙げられている。少し長くなるが、要約すると以下のようになる。


教訓その1 「時間を稼げ」:2006年に国防長官として就任した後、2007年1月に当時のブッシュ政権が3万人規模の兵力増強をした後、増派に関する「国防省内での再検討プロセス」を実施し、その効果が現れるまでの時間を稼ぐことに成功。全く同じ手法は2010年にオバマ政権がアフガニスタンに3万3千人を増派した際にも使われた。増派に関する「国防省による再検討」の実施は、短期間に大幅な兵力撤退を求めるグループを黙らせ、現地の米軍に貴重な時間を与えた。
教訓その2 「涙を部下に見せることを恐れない」:感情を表に出さない人柄であるとして知られていたゲーツ国防長官が海兵隊協会でのスピーチの際に、1度目のイラク駐留から無事に帰還した後、再度自ら志願してイラクに赴き戦死した海兵隊の大尉の話を紹介したとき、ゲーツ長官の声は感極まって振るえ、やっとの思いで演説を終えた。その後、その場で見せた感情を、ゲーツ長官は、地雷に対する強度の高い装甲車の迅速な派遣やアフガニスタンのどこで米軍兵士が負傷しても1時間以内に米軍の医療施設に移送することを可能にするためにヘリコプターの増派などの具体的な措置を次々と打ち出すことで行動に移した。彼のこの行動は軍の中堅の兵士の心をがっちりとつかみ、彼らの絶大の信頼を獲得した。
教訓その3 「自分の考えは自分の中に留め置く」:2006年の指名承認公聴会で米軍はイラクで勝利しているか、という議員の質問に「議員、していません(no, sir)」と単刀直入に答えたことで、ゲーツ長官は率直な物言いをする人間だという評価を固めた。しかし、オバマ政権が直面したもっとも議論を呼ぶ問題では、ゲーツ長官は最後の最後まで自分の考えを明らかにしなかった。
教訓その4「己の力の限界を知る」:陸軍に対する最初の主要演説の中で、ゲーツ長官はアフガニスタンのような場所で外国の国軍を訓練することの重要性について語った4年後に再び、この全く同じ問題について陸軍士官学校での演説で語った。陸軍にこの問題に対応するように命じることもできたゲーツであるが、彼はそのように彼が上から押し付けたものは、彼の退任と同時に終わってしまうことを知っていた。
教訓その5「同窓生を忘れるな」:国防長官になる前にCIA長官やテキサスA&M大学学長などの職を経験したゲーツ国防長官は、あるインタビューの中で「CIA,テキサスA&M,国防省、重要な共通項がひとつある。それは、同窓生だ。いずれの組織も、同窓生が現役のものの考え方に対して物申すべきであると感じている」と述べた。2010年5月、ゲーツは海軍が空母を撃沈する能力を持つミサイルを必死に開発する中国の動向に対して十分な緊迫感を有していないのではないかと懸念を持った。海軍の指導層と話をしても斬新な発想などが出てこなかった。そこで彼は退役海軍将校が組織している支援組織の米国海軍リーグでの演説で「他に空母機動部隊を1つ以上持っている国が存在しない中で、われわれだけが11個も空母機動部隊を維持する必要があるのだろうか?」と挑発した。わずか数日後には海軍の空母艦隊を削減する意思はなく、将来についてのディベートを始めさせるために言ったことだと認めたが、海軍の中で議論をスタートさせるには十分だった。


 若干、ゲーツ国防長官を誉めすぎの記事であるような気がしないでもないが、それでも、この記事が触れている「5つの教訓」は政治任用者の官僚機構とのかかわり方について重要な示唆を与えてくれるものではないだろうか。
 例えば教訓1~3で示唆されることは、6月16日付の宮家主幹によるコラムで提起されている「官僚の性を知る」ことと深くつながっている。この中で宮家主幹は政治任用者は官僚に自らがその組織の一員であることを感じさせることの必要性について触れているが、特にワシントン・ポスト紙記事が「教訓2」で引用したエピソードはゲーツ国防長官が自らの言動で彼らに「長官は自分たちのことを考えてくれている=信頼できる自分たちの仲間である」と実感させたことを示している。また「教訓5」の例は官僚機構の力を最大限に引き出すためには、その上に立つ政治任用者が官僚機構とその内外の相関関係を理解することが非常に重要であることを示唆している。
 そして「政治主導」を声高に唱える人々にとって耳が痛いのは教訓4「己の力の限界を知る」ではないだろうか。「政治主導」の旗印の下に政治任用者が自らの意思を官僚機構に押し付けることは簡単だ。しかし、その意思の押し付けが官僚機構の組織への理解が不足した状態で、官僚達が自ら納得することなく行われるものである場合、その政治任命者がポストを去った瞬間に、官僚機構は押し付けられたものを否定するであろう。政治任用者として自分が持つ問題意識を明確にしつつも、問題改善に向けた具体的措置そのものについては官僚組織の半ば自発的努力を待つだけの忍耐強さが政治任用者には時には求められるということだろう。自分の思ったとおりに役人が動かないからといって面罵したり、人事権を行使して恫喝するなどは論外だということだ。
 それにしても、第二次世界大戦後、1949年に国防省が現在の形で発足してから今まで国防長官は22人しかいない。翻って、日本は防衛庁が発足してから今まで何人、大臣が代わっただろうか。