メディア掲載  グローバルエコノミー  2024.04.08

EUの農民デモから日本農業を考える

環境保護意識に見られる日欧の大きな違い

農業経営者4月号(2024327日発行)に掲載

農業・ゲノム

ヨーロッパで農民のデモが多発している。

2022年オランダで、2030年までに畜産の糞尿などから発生するアンモニアガス(窒素化合物)を半減するという政策に畜産農家が反発してデモが起きた。オランダの政策は、行政裁判所から同国の窒素排出がEUの規制を超過していると指摘されたため採られたものである。他の加盟国と同じようにEUの規則を守ろうとしたものに過ぎない。しかし、廃業させられると主張する農民に同情が集まった。

次いで2023年末からドイツで農業用ディーゼル燃料に対する課税についての優遇措置が廃止されることなどに対して農民が抗議し、ベルリンの主要幹線道路を大型トラクターで封鎖するという事態が生じた。

今年に入って、フランス南部トゥールーズで発生したデモがフランス全土に拡大した。農薬や肥料の使用制限などが農家経営を圧迫していることに加え、ウクライナからの輸入拡大が農産物価格を押し下げていることや農産物の大輸出国であるブラジルやアルゼンチンが加盟する南米関税同盟メルコスールとの間でEUが自由貿易協定を締結しようとすることへの反感が、デモの原因だとされる。

デモは過激でも市民に問題をアピールしてるだけ

 TPP交渉の際、東大農学部S教授は、フランスのように徹底してやれば政府を動かせるので、逮捕者が出てもみんなで金を出し合って一生面倒を見ればよいからと言ってトラクターで国会に突入しようと主張した。

私がベルギー・ブラッセル(ブリュッセル)のEU日本政府代表部に勤務していた1990年代後半でも、フランスの農家がスペインからの安い農産物の流入を阻止するため、道路を封鎖するという話はたびたび耳にしたし、ガット・ウルグァイ・ラウンド交渉の際は、農民が多くの牛を引き連れEU本部のあるブラッセルを占拠した。ヨーロッパの人は農民デモに慣れている。

これを見て、日本の農業関係者の中には、ヨーロッパでは農民の主張(農業保護)に理解があるので日本国民も見習うべきだという主張をする者もいる。

しかし、一般の市民の中にはEUの巨額な農業予算に批判的な人も多い。財源は各国からの拠出金で元は税金だ。EUから離脱したイギリスは、長年にわたり拠出金の多さに不満を表明していた。また、2018年のフランス・黄色いベスト運動(燃料税引き上げなどに対する抗議運動、デモ参加者は黄色いベストを着用)のように、農業に限らず直接行動は珍しいものではない。

 日本では、JA全中が農林水産省や自民党農林族議員に陳情し、これら三者による密室の協議で農民の要求が実現される。ヨーロッパの農民デモは過激だが、一般市民に問題をアピールしているのであって、ある種の透明性がある。

誤解しないでもらいたいが、私はトランプ前米国大統領やS教授のように議会襲撃を煽動するつもりは毛頭ない。慣れないことはしないほうがよい。かえって国民の反感を買うだけだ。

地球温暖化対策や環境保護を強めるEU

各国のデモの根っこには、2019EUが地球温暖化対策として打ち出した2050年までに温室効果ガスの排出ゼロを目指す「欧州グリーンディール」への不満がある。農業については「農場から食卓まで戦略(Farm to Fork StrategyF2F)」が定められ、2030年までに肥料を20%削減、化学農薬を50%削減、農地の25%を有機農業にするなどの目標が定められた。また、生物多様性のために農地の4%を休耕しなければならない。各国政府は、これらに従って国別の実施計画を作成することが義務付けられている。

ここでEU(前身のECを含む)について説明しておこう。EU1968年に共通農業政策(CAP)と関税同盟を完成した。関税同盟は、域内では関税を撤廃するとともに、域外には統一した関税を適用するものである。

EUはフランスの農業と(西)ドイツの工業との結婚である。ドイツ産業界はヨーロッパ市場を我が物とできる関税同盟を欲し、農業国フランスは強力な農業政策の確立を望んだ。食料自給のできない西ドイツは、東西ブロックの成立によって東ヨーロッパからの食料供給を絶たれたため、フランス農業の発展を支持した。

1993年に改革が行われるまで、共通農業政策の基本となるものは域内の共通市場と域内単一の価格支持政策だった。当初、高いドイツの価格で域内の農産物価格を統一したうえ、価格支持水準を1970年代から1983年にかけて一貫して引上げた。このため、生産量は大幅に増大して深刻な過剰が発生し、これに補助金をつけて国際市場でダンピング輸出した。これがアメリカとの間で深刻な輸出競争を巻き起こし、ウルグァイ・ラウンド交渉の原因となった。

過剰処理はEU財政にも大きな負担となったことから、1993年生産を刺激する価格支持から直接支払いへ移行した。今日では農家保護のうち価格支持は2割を切っている(日本は依然として8割程度だが)。8割以上が直接支払いだ。

現在、フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長(行政府の長で日本の首相にあたる)のもと、積極的に環境対策を推進しようとするEUは、2023年から2027年の共通農業政策において、気候変動・環境等の法令遵守を農業直接支払いの受給条件とするとともに、気候変動・環境へのさらなる取り組みを行う農業者に対する上乗せ支援を導入した。

共通農業政策予算の4割は気候変動・環境対策に向けられる。また、加盟国は単にEUの規則を遵守している(コンプライアンス)だけではなく、成果(パーフォーマンス)を挙げることが求められている。

日本の「みどりの食料システム戦略」のように、目指すだけの単なる目標ではない。新しい共通農業政策では10の目標のうち3つが環境関連である。

ヨーロッパの農民は反環境保護主義者なのか?

日本では、ヨーロッパの農民が温暖化ガス削減や環境保護に反対していると主張する人がいるが、それは間違いだ。

欧米では、1962年のレイチェル・カーソン「沈黙の春」に見られるように、近代農業は、肥料、農薬や糞尿をばらまき、それが地下水を汚染し、温暖化ガスの発生の原因にもなることから、環境に悪い影響を与えるとする見かたが一般的である。

日本と違い、河川が広い地域をゆったり流れるヨーロッパでは、地下水が窒素等で汚染されやすい。過去には、硝酸性窒素によるヘモグロビンの酸化により血液が酸素を運べなくなって生後6ヶ月位の乳児が死亡するというブルーベビー現象が生じている。特に、価格を上げれば、肥料や農薬をより多く使用することになるので、価格は下げるべきだとされる。環境保護のためにも、少なくとも生産刺激的な農業保護は削減・廃止すべきことになる。価格支持から直接支払いへの転換は環境保護の観点からも支持される。

土壌流出を指摘されてきたアメリカでは、最近「持続的な(sustainable)農業」または「再生的な(regenerative)農業」と並んで、「土壌健康(soil health)」という言葉を耳にする。土壌の状況は異なるので、こまめな対策が必要だという。

炭素を貯蔵する土壌は気候変動対策としても重要である。アメリカの農民は、表土・水分の維持や炭素貯蔵に役立つ不耕起栽培(耕さなければ炭素や水を土中に固定できる)やカバークロップ(被覆作物)などを自発的に行っている。アメリカだけでなくEUでも有機農業は積極的に取り組まれている。

NASA(アメリカ航空宇宙局)は、衛星による宇宙からの地球の水循環に関する分析(土壌表面だけでなく土壌内部の水分濃度まで分析できる)から、乾燥地帯はより乾燥し、湿った地域はより湿潤になるとしている。最も土地が肥沃な中西部のコーンベルトで、トウモロコシの収量が低下し小麦の収量が増加する、つまりコーンベルトが小麦ベルトになると警告している。

欧米の農民一般は、農業は地球温暖化の加害者であると同時に被害者であり、必要な対策を講じなければ、農業生産自体を継続できなくなるかもしれないと認識している。

しかし、自発的に環境問題に取り組んでいるアメリカと異なり、EUの農民は、ブラッセルから指示される目標や規制が過大でかつ急進的すぎて彼らの経営を圧迫しかねないことに懸念を表明しているだけである。

環境改善と経営維持 日本農業の現状

これに対して日本は不思議な国だ。農業の実態を知らない一般の人は、農業は環境にやさしいという認識を持っている。小学校社会科教育のおかげか、ほとんどの国民が持っている農業や農家に対するイメージは戦前の姿である。戦前の農業は、わずかの化学肥料を使用するだけで、農薬も農業機械も利用しなかったので、環境にやさしいのは当然だろう。

さらに、農林水産省の多面的機能の主張によって、国民は、洪水防止、水資源の涵養、景観など水田の機能を評価している。しかし、水田の多面的機能は、水田を水田として利用するから発揮されるのに、水田の4割を水田として利用しない減反政策に国民は巨額の補助金を払わされている。

何もしないでも農業は環境によいと思っている日本と、環境改善が自己の経営維持に必要だと考えて真剣に取り組んでいる欧米との違いは大きい。

農林水産省は、EUをまねて「みどりの食料システム戦略」を打ち出し、基本法の中で農業が持つ「環境への負荷の軽減」を明確に打ち出した。同省がやっと環境保護にやる気を出したと評価できる反面、本音は同省役人の仕事作りではないかとも思われる。

日本の農家は、これまで農業は多面的機能を発揮しているとおだてられていたのに、急に同省が農業は環境に悪いと言い出したことに戸惑っているのではないだろうか?

農林水産省の戦略は、技術や政策項目などを羅列しているだけである。また「XXを目指す」というだけで、目標達成のための具体的な道筋は全く書かれていない。

日本でも将来的にはEUのように補助金と環境規制をリンクさせる方向だと言われているが、日本では農家に直接届く補助金や直接支払いは少ないので、実効性が上がるのか、また欧米ほど環境意識が高くない農家がついていけるのか、疑問である。

なぜEU市民は農家の主張に寛容なのか?

 1990年代以降、EUの加盟国が増加し、かつユーロという共通通貨導入などEUの権限が拡大するにつれ、市民の間で、選挙で選ばれていないブラッセルのEU官僚に支配されることは問題だとする不安や不満が大きくなった。このため、まず各国で政策を行い、それで十分でない場合にEUが対策を講じるという“補完性の原則”が確認された。

共通農業政策は域内単一の市場を原則とするので、各国が独自に補助等を行えば競争力に差が出てきてしまう。各国独自の政策を禁止するのが共通農業政策だった。しかし、補完性の原則に従い、基本原則を崩さない範囲で、できる限り各国政府の裁量を認めるようになっている。

それでも、移民対策などで独自の法律や政策を講じられないことによる不満が嵩じた結果、イギリスはEUから離脱した。

フランスなど他の国でも、難民の受け入れ問題などから極右政党は反EUの主張を行うようになっている。農民の甘えのような主張に各国の国民が寛容なのは、ブラッセルで決められた政策を押し付けられることに対する反発が背景にある。

極右政党はEUの政策に反発した農民を取り込もうとしている。しかし、EUの農民は反環境でもないし反EUでもない。共通農業政策の恩恵を受けてきたことをよくわきまえている。

また、共通農業政策の改革は各国政府や欧州議会と協議の上合意されたものであって、フォン・デア・ライエンが独断で行ったものではない。農民デモがEUを揺るがすような事態には発展しないだろう。