最大の要素は、今残っている大統領候補の共和党ドナルド・トランプ、民主党のヒラリー・クリントン、バーニー・サンダースの3人ともTPPに反対していることだ。
クリントンはサンダースに追い上げられているが、民主党候補としての指名は確定していると言ってよい。本来クリントンはオバマ政権の国務長官として、大西洋から太平洋へ重点を置き換えるというリバランシングを主張し、TPPをその中でも重要な政策として推進していた。本心ではTPP推進派と言ってよい。
それが、アメリカの雇用が自由貿易で失われているなど左派的な主張を繰り返すサンダースが、意外にも若者等を含め多くの支持を得たことから、当初のTPP協定の中身を検討するという主張から、今ではTPP反対を鮮明に主張せざるを得なくなったのである。
民主、共和の予備選から、今回の大統領選は極めて異常である。
共和党から見ると、立候補を表明した主要な候補は17人にも上る乱立となり、予備選挙前に5人、予備選挙中に11人が撤退し、保守主義者ではないと攻撃された、政治経験のないトランプが共和党の候補となった。しかし、トランプを嫌う共和党幹部は、最後まで予備選挙に踏みとどまったテッド・クルーズとジョン・ケーシックが撤退表明を行うまで、トランプが予備選挙で多数の代議員を獲得しても、党大会で別の候補を支援し、逆転を狙うという戦術を検討していた。
しかし、意中の人物だった、前回大統領選の副大統領候補で下院議長のポール・ライアンに袖にされ、忌み嫌った極右のティーパーティー派のテッド・クルーズを最後の頼みの綱にしたが、これもトランプに敗北してしまった。
民主党は、当初女性で、人気もあり、政治経験の豊富なクリントンが無風状態で指名を受けるという予想だった。しかし、若い時代に社会党に所属し、自ら民主社会主義を標榜するサンダースが、意外にも支持を広げ、多くの代議員を獲得し、クリントンの支持基盤を取り崩していった。
特に、サンダースはクリントンがウォールストリートから多額の献金を受けていると攻撃し、支配階級のエスタブリシュメントに不満を持つ若者や低所得層から強い支持を受けた。これによって、クリントンは主張をサンダース寄りに大きく左に移さざるを得なくなっていった。
予備選挙の経緯だけでなく、争点についても極めて異常である。いつもの大統領選なら、テロ対策とか移民対策とかの政治・外交向きの政策が争点となる。通商政策が争われるのは、珍しい。
しかし、サンダースだけではなく、自由貿易推進を旗印にする共和党の候補であるトランプまでもフォードがメキシコに工場を移転しアメリカの雇用を奪っていると主張するなど、反自由貿易、反グローバル化を主張している。
大統領選で通商政策が大きな争点となったのも、共和党候補が反自由貿易を唱えるのも、1936年以来だと言われている。実は、高等教育を受けていない貧しい人たちが新たに共和党員になってトランプを支援している。トランプの支持層は伝統的な共和党員ではない。つまり、サンダースもトランプも同じ主張で同じ支持層をターゲットにしているのである。
見方を変えると、アメリカで反自由貿易、反グローバル化の声が高まっていると言えるだろう。トランプなどの主張により、ギャラップ社の世論調査では、現在のアメリカが直面する最重要問題に経済問題を上げる人が、今年1月の27%から4月には40%に増加している。
大統領選の候補者が当選後、自由貿易協定についての態度を変更したことは、ないわけではない。ビル・クリントンは北米自由貿易協定(NAFTA)に反対だったが、当選後推進派となり、ブッシュが締結したNAFTAの議会承認を求めた。バラク・オバマもNAFTAの再交渉を求めていたが、当選後は主張を引っ込めた。しかし、これらのときは、通商交渉や自由貿易が大統領選の大きな争点になっていたわけではなかった。
メキシコからの移民を防止するため、国境に大きな壁を作り、その費用をメキシコ政府に払わせるというトランプの荒唐無稽な主張は、そもそも実現不可能なものだが、TPPの議会承認を求めないことは大統領として可能である。トランプが当選すれば、来年以降大統領がTPPの議会承認を求めることはまずなくなる。
本心はTPP推進派なのだが、日本などが通貨を操作して安い商品を輸出しているという点にTPPが対処していないという、伝統的な民主党議員の保護主義的な主張を展開している。
クリントン大統領ならTPPを再交渉して、この通貨操作についての合意をTPPに盛り込んだのちに、議会承認を求めるという道もないわけではない。しかし、アメリカ財務省を含め各国とも、通貨の変動は金融緩和などのマクロ政策によるものであり、通商協定であるTPPで手足を縛られてしまえば、マクロ政策は打てなくなってしまうとして、反対している。したがって、この選択肢もない。
その一方で、現職のオバマ大統領は、自分のレガシー(遺産)としてTPPを成立させたい。大統領選前の議会承認は議会関係者すべて否定している。新政権後の議会承認が困難となると、オバマが11月の大統領選後1月に新議会が発足するまでの、いわゆるレイムダック・セッションにTPP承認を議会に求めるという道しか残されていない。
しかし、TPPを審議する上院のハッチ財政委員会委員長はこの可能性は五分五分と発言している。そのうえ、上院共和党を束ねるマッコーネル院内総務は、これを否定している。両者ともTPPの合意内容に一部不満を持っていることも、このような態度に影響している。いずれにせよ、今の情勢だと、TPP承認は来年以降も不可能ではないかという悲観論が漂う。
今年は大統領選に異常な関心が集まっている。しかし、アメリカでは大統領選に合わせて、上院の3分の1、下院のすべての議席についての選挙が実施される。この情勢はどうだろうか?
まず下院だが、現在共和党246、民主党188というフーバー政権以来の大差がついている。今選挙を行えば民主党は10から15議席上積みしそうだと言われているが、30議席を取らないと逆転できないので、選挙後も自由貿易を推進する共和党が優勢となるだろう。
こちらは共和党54、民主党44、無所属2なので5議席で逆転できる。今回改選されるのは34議席である。共和党はオバマ政権の改革が急進的だという批判に乗って2010年大きく議席を伸ばした24議席が改選を迎える。このうち、どちらに転ぶかわからない(コインを投げて裏表を当てるトスアップと言われる)議席が7~8あると言われている。上院では民主党が議席数を逆転する可能性がある。
TPP承認が可能となる場合を検討しよう。いずれのケースでもマッコーネルやハッチの懸念にオバマ政権が何らかの対応をすることが条件である。
まず、民主党が上院の過半数の議席を獲得した場合である。
負けた自由貿易推進派の共和党は、新議会が発足するとTPPの承認は困難になると考え、レイムダック・セッションでTPPを承認しようとするだろう。
アメリカ政府に通商交渉の権限を与えるTPA(貿易権限促進法)のときは、下院では賛成218、反対208できわどい勝利だったが、上院では自由貿易に肯定的な民主党議員が多く賛成62、反対37の大差で通過した。今の民主党議員ならTPP賛成を取り付けやすいと考えるだろう。
次に、トランプが大統領になった場合である。
共和党議員はトランプに好感を持っていない。上院で共和党が多数を維持しようがしまいが、レイムダック・セッションでTPPを承認しようとするだろう。
ただし、いずれのシナリオもレイムダック・セッションの議会開催日数が16日しかないことを考えると、相当な綱渡りとなる。オバマが相当な覚悟で議会の根回し・説得工作を試みるしかない。