コラム  2024.04.08

戦争とGDP

林 文夫

太平洋戦争の開戦時、敵の国力が日本を圧倒しており長期戦になれば必敗なのは、軍の内外で広く知られていた。陸軍が経済学者を集めた研究会(通称「秋丸機関」)を主宰した秋丸次朗中佐は、戦後の回想で、対米英の国力格差は201程度と述べている。

ただ、長期戦は必敗でも、現有の海軍力は拮抗していたので、短期的に善戦し有利な講和を結ぶことは可能という認識はあった。あの無謀な戦争は、この甘い見通しに賭けた選択だった。(以上は、牧野邦昭『経済学者たちの日米開戦』(新潮選書、2018年)に詳しい。)

私が秋丸機関の座長だったら、「国力」とはPPP(購買力平価)ベースのGDP(名目GDPPPP為替レートで割ったもの)だという答申をしただろう。

当時、米日格差は財ごとに推計があった。石油は数百対1、船舶は1対1等々(上記の牧野氏の著書の5章参照)。国力が201という秋丸推計(ただしこれは英国も含む)は、これらの比率の何らかの加重平均と思われる。加重平均のウェイトが財の支出シェアなら、秋丸推計はPPPベースGDPの対米比に等しくなる。なぜならPPPベースのGDPは、GDPを構成する財・サービスを両国共通の国際価格で評価しているからである(そうなるようにPPP為替レートは定義されている)。

GDPには民需も含まれるが、民需を国力に算入する理由は、戦時には民需向けのリソースが兵器生産に動員できるからだ。たとえば、太平洋戦争の後半、自動車会社であるフォードは、B24を毎月数百機(1時間に1機)生産していたそうだ。

今ではAngus Madison教授グループ によるPPPベースのGDPの長期推計がある。それによると、1940年時点の対英格差は1.51、対米格差は4.51。英米合わせた格差は6.0で、秋丸推計よりかなり低い。

ちなみに、日清戦争の格差は4.91890年の清のPPPベースのGDPは日本の4.9倍)、日露格差は2.91900年時点)だった。対米英ほどではないが、かなりの格差だ。格上の相手と対戦し第1ラウンドで勝利した成功体験が、軍部による甘い見通しを招いたのか。

ひるがえって現時点で米中が戦えばどちらが勝つのか。直近の中国の名目GDPは米国の7割程度だが、PPPベースでは、IMFや世銀によると、逆に中国の方が高い。Madison推計では、中国のGDP統計はかなり割り引かれており、米中は拮抗している。

現有戦力の比較はどうか。今年の3月5日の全人代で公表された中国の軍事費は1.7兆元(名目ドル換算で2300億ドル程度)。これに対し米国の軍事費はそれよりはるかに高い8420億ドル(朝日新聞デジタルによる)。しかしPPPベースのGDPと同様、両国の軍事費は共通の国際価格で評価しないと中国の大幅な過小評価になる。この点は広く理解されているとは思えないので、軍が兵隊だけから成る極端な場合を考えよう。中国の兵隊さんの給料が、米国のたとえば4分の1とすると、PPPベースの中国の軍事費は、名目ベースの4倍になる。


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